電子アーカイブがオープン 2014.3.20
「がれきに花を咲かせようプロジェクト」のデジタルアーカイブ開通式が福島県立保原高校で開催されました。
CSRでアーカイブ作りを主導した日本CAの内藤眞社長が「花がれき作品をデジタルで記録して後世と世界に発信するお手伝いをさせていただきました」とあいさつし、「東北の復興をITで支援していきたい」と話しました。
引き渡しを受けた生徒は「花がれき活動を通じて、福島の放射能汚染の風評をなくしていきたい」と決意を語りました。
アーカイブは日本語と英語のページから構成されていて、それぞれ花がれき作品を鑑賞できるほか、携わったメンバーの似顔絵、花がれきプロジェクトのこれまでの活動、福島からのメッセージなどが掲載されています。
今後は日本CAによる「ITによる復興寄付講座」を保原高校で開講します。
アドレスは「http:// hanagareki.jp 」。
仕分け作業スタート 2013.10.4
「花がれき」の作品をインターネット上で公開するデジタル博物館づくりが本格的に始まりました。
保原高校の美術部にお邪魔して、まずは撮影済みの花がれき作品700点以上を「絆」「希望」など6つのカテゴリーに分類する作業を生徒たちの手で進めることになり、試験的に仕分けを実施。これから美術部員が数班に分かれて作業することになりました。
訪問して楽しい復興アーカイブを目指します。東日本大震災から3年の来年3月オープン予定。
AKB48とコラボ 2013.1.21
長岡市内での撮影風景保原高校での撮影風景 AKB48が卒業の哀切と旅立ちを歌った新曲「So Long !」のミュージックビデオ(MV)で、「花がれき」のコラボが決まりました。
メガホンを取ったのが、「花がれき」を全国に紹介してきた大林宣彦監督。大戦中の空襲と中越地震を経験した新潟県長岡市の慰霊花火を題材にした大林監督映画「この空の花」(2012年公開)のサイドストーリーとして、「花がれき」が登場。心に花を咲かせ、平和と復興の絆を結ぼうと呼び掛けています。
CD(MV付き)は2月20日に発売されます。
【So Long !―THE MOVIE】
MVは1時間余りの短編映画仕立て。
長岡の高校で夢(ゆめ)(渡辺麻友)と、福島県南相馬市から避難してきた未来(みらい)(SKE48松井珠理奈)が親友になるところから物語は始まる。空襲の爆弾に代わり花火を上げて平和を祈り、地震で壊れた家屋を保存して被災地支援への感謝を忘れない長岡の人々の平和、復興の取り組みをたどりながら、「本当の復興」を学んだ未来が故郷再生のために福島に帰り、「花がれき」に携わる。
大島優子、島崎遥香といったAKB選抜メンバーが共演し、「明日から強く生きようよ つらいことがあったとしても 1人じゃない」と笑顔で歌う。
47NEWSの記事
アーカイブづくり始動 2012.12.21
日本CAのCSRで「がれきに花を咲かせようプロジェクト」の作品のデジタルアーカイブづくりが始動しました。
日本CAの精鋭4人がプロフェッションによる被災地支援として12月21日朝、福島県伊達市の保原高校に集結。NPO法人復興博が仲介役になり、校舎内にある500点ともされる「花がれき」作品と、北幹線第二仮設住宅ならびに宮代第一仮設住宅の「仮設に花を咲かせよう」の壁絵を撮影しました。
生徒たちがわいわいとペンキで花を描いた思い出の跡も丹念にたどりました 菅野哲哉校長先生と番匠あつみ先生との事前の話し合いで、アーカイブづくりの基本方針は「作り手の生徒たちの思いが伝わる」で決まりました。
日本CAは、生徒たちの思いを十全に伝えるため、世界最先端のアーカイブ設計思想とデジタル技術により作品一点一点を実に丁寧に、世界水準の情熱を込めて撮影、データ化しました。
アーカイブの外観デザインは生徒たちにお願いしています。
まったく新しい、そして温かい「文化による復興」アーカイブが来春にも誕生します。
こうご期待。
仮設に花を咲かせよう 2012.10.28
「がれきに花を咲かせようプロジェクト」の関連企画「仮設に花を咲かせよう」が8月24日炎天下の下、福島市の北幹線第二仮設住宅で行われました。使われたペンキは日本塗料工業会の寄贈です。
前日の下絵描きを経て、プロジェクト参加の生徒26人が3班に分かれて朝から作業開始。福島県双葉町から避難されている住人の方々から温かい励ましの言葉を受けながら生徒たちは和気あいあい、仮設住宅の壁3面に見事、アサガオやヒマワリ、桜の花の絵を咲かせました。
静岡新聞(2012年10月28日付朝刊).pdf
ペンキ支援始まる 2012.8.11
番匠あつみさん撮影 「がれきに花を咲かせようプロジェクト」応援として日本塗料工業会がペンキを無償で提供してくださることになり、その第一弾分として1.6リットル缶30余りがこのほど福島県立保原高校に届きました。
このペンキを使い、「花がれき」の生徒が被災者の応援として仮設住宅に絵を描く「仮設に花を咲かせよう」が福島市の北幹線第二仮設住宅を会場に8月23~24日の予定で実施されます。
保原高校再訪 2012.7.6
「がれきに花を咲かせようプロジェクト」応援の在り方を協議するため、福島県伊達市の福島県立保原高校を訪問、菅原哲哉校長先生とプロジェクトのプロデューサー的存在の番匠あつみ先生にお会いし、もろもろ協議しました。
NPO法人復興博ならではの応援として、大林宣彦監督の映画「この空の花」との提携強化とプロジェクトのPRは当然として、新たに以下の取り組みを進めることになりました。
○被災者のための仮設住宅の殺風景な壁に「花がれき」の生徒たちが絵を描く
「仮設に花を咲かせよう!~壁画制作プロジェクト」に対して、
日本塗料工業会(東京)がペンキを提供したいというお申し出を前向きに調整
○「花がれき」の作品のデジタルアーカイブ化計画
○「花がれき」展の検討
応援の推進に当たっては、保原高校と関係者の連携強化が不可欠。「ホウレンソウ」怠りなく進めていきます。
この後、「仮設に花を咲かせようプロジェクト」の現場、福島市の宮代第一仮設住宅に番匠先生が案内してくださいました。
海辺の日の出、生徒の平穏な朝の光景、海に暮らす人魚、など美しく平和な故郷を取り戻したいという福島県の方々の願いが込められた絵が、それぞれ灰色の壁一面に鮮やかに描かれています。
「兵舎みたいな殺風景な壁に花が咲いたよう」
「自分の所にも描いてほしい、という声が増えている」
と住民の方々。祝福の中で始まったプロジェクトは、避難生活を今も余儀なくされている方々に小さな、でもかけがえのない希望を確かに咲かせているようです。
ところでこの壁画、東北新幹線からも見ることができます。福島駅から仙台方面に向かって10分弱の、進行方向左側の窓から!
「この空の花」とコラボ展 2012.5.12
新潟県長岡市の慰霊花火を題材にした映画「この空の花 長岡花火物語」の上映初日となった2012年5月12日、東京・有楽町のスバル座で「がれきに花を咲かせようプロジェクト」展がスタートしました。これは大林宣彦監督の熱望によるもの。スバル座のホワイエの特設コーナーには「花がれき」作品の写真がずらりと並んだパネルをはじめ、活動趣旨、2011年4月以来のプロジェクトの経緯、さらに大林監督と福島県立保原高校の生徒たちとの出会いを紹介した新聞記事などが展示されています。
「この空の花」舞台挨拶の記事はこちら
花がれき展の記事はこちら
この日の舞台あいさつで大林監督は花がれき展に関し、まるで保原の生徒との友情について語るように観客に熱っぽく語りました。
【大林監督による紹介】
南相馬の女の先生(※番匠あつみさん)が引っ越されたんです、福島の方へ。その時、被災地に咲いていた、1本の桜の枝に咲いた花にはっとさせられたというんです。
「こんなかよわい小さい花だってちゃんと咲く。私たち人間もここでちゃんと咲こう」というので、その先生が壊れた校舎の小さながれきを集めて、ご自分で洗われて、生徒と一緒に花の絵を描いた。花の絵なんて描いたこともない男の子たちが。
がれきというのは本来は校舎ですから、そこにはかつてあった壁画の色とかいろんな物があって、思い出がいっぱいあるんです。
僕、山古志(新潟県)の人たちと同じだと思ったんです。大人はがれきを片付ければ復興だと思うんだけれど、山古志の人もがれきを残して、がれきの痛みを記憶して、その痛みや、皆さんからもらった支援への感謝の気持ちをしっかり記憶にとどめるために、がれきの記憶と一緒に暮らしていく。この子ども達がそうやってがれきの花を描いている。
いいなあ、この映画の精神と同じだと。
この子たちと友達になって、一緒に手を合わせていけたらな、と思います。
東京から手紙を書こうと思って、先生から頂いた、絵のいっぱい描いてある名刺を見ましたら「福島県福島市何々」、最後が「字元木」。この映画に出てくる少女、元木花ちゃんと同じなんですよ。字元木の花がれきだったのね。
ああ、この映画は僕が作ったんじゃないよと。(天を見上げて)上の方にいる人が最初から映画のためにそういうふうに配置してくれて、その一部に僕もいたんだなと。
皆さん、がれきの中で花を描いて元気に明るく未来を信じて生きている子どもたちがいるんです。その子どもたちとつながることこそが、私とこの映画の役割だろうと思います。
花がれきを描きながら一生懸命に生きている福島の子ども達と花を見てください、お願いします。
大林宣彦監督が激励 2012.2.21
何げない平和な暮らしの尊さを作品にしてきた映画作家の 大林宣彦監督と一緒に2021年2月21日、福島県立保原高校を尋ね、「がれきに花を咲かせようプロジェクト」を激励しました。
大林監督の特別講義は歴史に残る、感動的なものでした(※下記参照)。
目をきらきらさせながら聞き入った生徒たちは、「花がれき」が世界との絆の結び直しであり、希望と命をつなげる表現なのだと大いに気づかされ、生きる元気をもらったようでした。
新聞記事はこちら↓
福島民報朝刊(2012年3月8日)
【大林宣彦監督の特別講義】
皆さん、こんにちは。大林宣彦と申します。
被災地のみんなの声や様子がテレビや新聞で伝わってきました。
南相馬のある高校生が「これまで僕たちは一生懸命とか頑張る、という言葉を使いませんでした、ださいし恥ずかしいし。だけれどもこれからは一生懸命に頑張って故郷を復興します」と話していました。
自然災害に対してとても小さな人間がこの広い宇宙でどうやって生きていくかを考えさせられました。
そういう意味で高校生らしい、いいコメントを聞きましてね。
保原高校のみんなが花を描き始めたことを番匠あつみ先生から聞きましてね。がれきの中に花が咲いた、その命がとっても素敵だと思ったんでね。
それはとても大事なことでね、人間も自然の一部です。だからみんながこうして桜の花を咲かせているということは、みんなの命がどんどん咲いていくことですね。
▽欠片
こういう話を知っているでしょ。丸い形をして、口のところが欠けている、その欠片を探して旅をするんです。自分が欠けているから。いろんな所を旅すると、欠けているところに虫が止まったり、花と話をしたりするんだけれど、最後に欠片を見つけてすぽんとはまると、まん丸になっちゃう。
さあ、これで完璧だと喜んでいたら、まん丸になっちゃったために転がっちゃって、飛んできた虫とも花とも話が出来ない。で、反省して、自分は不完全だけれど、欠けていたからいろんな話ができた。ということで欠けた形にもどって、幸せに自分らしく生きていこうという物語があって(※シェル・シルヴァスタイン著「ぼくを探しに」)。
がれきは欠片です。不完全な物。だけど、みんなが絵を描いていると、そのがれきの向こうに有った、欠けてしまった物に目が覚めるわけね。だから、世界とつながっていく。
思えば人間も不完全なものだから、完璧になると考えるよりは、手を伸ばしていけば、周りのいろんな不完全なものに寄り添っていけば、きっと温かい思い、つながりができるのではないでしょうか。
がれきは、大人の社会でいえば、壊れてしまったクズです。ゴミです。捨ててしまえばいい物。
復興するということは、がれきが無くなってきれいになることだと大人は思っています。でも、それは間違いなんだね。がれきは、この災害の記憶でもあるよね。それは痛ましい、つらい悲しい記憶ではあるんだけれど、そのがれきにみんなが一生懸命に花を咲かせるということはね、生きていく希望や勇気につながるということだね。
そのがれきを忘れないことが、本当の復興になります。
▽崩れた家
ぼくが作った映画(※「この空の花」)の舞台となった新潟県は、2004年の中越地震で大きな被害がありました。今行って見ると、崩れた家がそのまま残っているのね。
これは変なの。普通だったら、そういう壊れた物を全部片付けるのが復興なんだけれど、壊れて崩れた家がそのまま残されている。
なぜかは、皆なら分かるね。そこのお年寄りが言いました。「これを片付けてきれいな復興をしてしまうと、あの時、周りの人から頂いたパン一切れとかおせんべい一枚のありがたさを忘れてしまう。そういう感謝の気持ちと、辛かったから周りの人たちと思いやった、そういう気持ちを忘れてしまうと、それは復興ではありません」
家や道路がきれいになっただけでは復興ではなくて、人間としては堕落です。
私たちはあの時の苦しみや、全国の皆さんが寄せて下さった気持ちを忘れないで、二度とこんな悲しい目に遭わないで賢くなって、世界中の支援してくれた人にちゃんとお返しできるようにこの街を復興しようと思って、崩れた家をそのまま残しています、と。あそこの壊れたあの家の下でおばあさんが死んだんですよ、と言ってね。そしてそのまま写真を撮って名刺に張って、それを忘れないと。
これは賢い、と僕は思ったね。
がれきに花を咲かせる、というのもそういうことです。がれきに花を咲かせて、これが残されていくことで自然災害というものの恐ろしさと同時に、われわれ小さな人間も一生懸命に花を咲かせようということが復興につながるし、がまんや人に対する感謝やそういう気持ちを忘れないで、賢い人間として広い宇宙の中で暮らしていく知恵につながる。
とっても賢い、素敵な未来を目指してくれて、それを見てとっても感動しています。
▽アリと草
阪神淡路大震災の時もたくさんの方が亡くなりました。その時に会った地震の科学者が「僕は地震の科学者だけれど、人を救うことができなかった」と言いました。
しかし、ある時、ご飯を炊くのに釜の水を流して、そこに蟻塚があって、アリが溺れて大変な災害になったというんです。「僕は人間を救うことはできないけれど、アリを救うことはできる」と思った。不注意でお釜の水を流さなければ、アリが災害に遭わなかったと。「よしこれからは、道を歩くときもアリ一匹踏まないで過ごそう」と。そうやってアリの幸せを一生懸命に守っていったら、いつかこのアリが人間を救ってくれるかもしれないと。その先生はそう思ったって。
1990年に長崎県の雲仙岳が噴火して、ふもとの街が埋まってしまいました。そこではがれきがいっぱい転がっていて。
山を案内してくれた人が、不思議な歩き方をしてね。よく見ると、草を踏まないように歩いている。「草を踏みませんね」と聞いたら、「そうなんです。あの雲仙の上の方は緑があるでしょ。あれは草が生えていて、そこにがれきがいっぱいあって、草が生えていなかったらがれきが全部崩れて、私たちの町は埋まってしまう。草が生えてくれるおかげで、がれきをせき止めてくれる。だから草は恩人です」と。
草が自分たちの命を救ってくれるから、私も草を一本も踏まないで歩くようにしています、と言うんです。
アリを助けていれば人間が救われる、草を一本も踏まないようにしていけば村が助かる、街が助かる。宇宙はそうやってめぐりめぐっているのね。いろんな生き物が集まって、お互いに助け合って生きているのね。
▽あきらめるなよ
皆さんも大変な災害に遭ったけれど、その中でちゃんと咲く花の一輪や、がれきに過ぎない、早く片付けてしまいたい忘れたいこの欠片を、みんなが大事にしてそこに花を咲かせるというのは、きっと素敵な自然や宇宙とのつながりを、結びつきをつくっているんです。そういう結びつきの輪の中にいれば人間も自然の輪に守られることになるでしょう。
そういう学びが、人間として一番大事なこと。それを皆さんはやっている。期末試験の課題とは全く違うことをやっているように見えるけれど、人間としてどんどん賢くなっている皆さんだから、期末試験はきっと良い成績をとれるだろうな。
そしてきっとすばらしい人間として、これからの未来をもっともっと素敵な日本にしてくれるだろうと思います。
大人がつくってきた社会は、いいところもあるけれど、駄目なところもいっぱいあると思う。南相馬の少年が言っていたように「一生懸命とか頑張る、とか言ってもしょうがない。一生懸命にやってあんな政治家になってもあんな経済家になっても、人生面白くなさそうだから軽く緩く生きていればいい」と思うことがあるかもしれない
それじゃあ、誰が損するかというと、君たちが損する。そういう大人はいなくなるんだから。
▽おれも手伝うから
君が、あの大人がやっていることは駄目だと思ったら、絶望しないで君がいい大人になればいいんだ。もうすぐ君たちは大人になるんだから。君たちがこの時代を作るんだから。駄目な世の中だ、夢も希望もないなんてあきらめるなよ。
君たちが夢と希望を実現すればいい。そうしたらすばらしい世界をつくれるぜ。
戦争が好きなやつなんていないだろう。大人の中には戦争を必要としている人もいる。そういう大人になるなよ。
戦争なんか無い世界をつくりたいと思うなら、そのまま大人になりなさい。そういう世界を作れるから。すげえぞ。君が理想とする社会をつくれるんだ。おれも手伝うから。
そういう夢と希望のすばらしさを君たちから、ぼくが学びました。
希望の花咲く
2011年4月下旬、福島県立保原高等学校の番匠あつみ教諭の下、美術部員をはじめとする生徒たちが東日本大震災によって壊れた校舎のがれきに花の絵を描き、故郷を復興させようと立ち上がりました。活動名は「がれきに花を咲かせようプロジェクト」。丹念に除染され花の絵が手描きされた「花がれき」は携わってきた生徒たちだけでなく、福島の人々の心に希望の花を咲かせています。
復興博は「がれきに花を咲かせようプロジェクト」、通称「花がれき」プロジェクトをさまざまな形で応援していきます。
「がれきに花を咲かせようプロジェクト」趣旨
2011年3月11日に発生した東日本大震災において、福島県でも多くの建物が被災しました。私たちの学校は海から遠く、津波の被害とは無縁でしたが、地震によって校舎の柱や壁などが大きく損壊しました。4月の始業時は至る所に「立入禁止」の表示がなされ、慣れ親しんだ美術室にも、入れなくなりました。
瓦礫にまみれた校舎を目にするのはとても悲しく、さらに福島第一原子力発電所の事故が、私たちの気持ちに追い打ちをかけました。けれども震災後、被災各地でたくましく桜の花が咲き、被災者を勇気づけているTV映像を目にしたことをきっかけに「自分たちにも何かできることはないか?」という気持ちが生まれました。
このプロジェクトは、震災で発生した瓦礫に花の絵を描くことで、土地の復興と建物の再生を、さらに人々の心に明るい希望が生まれるようにという、様々な願いが込められています。
またこの活動を通して、日本中・世界中の支援者の方々へ向けて感謝のメッセージを発信することもできるのではないか、と考えています。
福島県立保原高等学校美術部